本日、ちょっとお客さんと面白い話ができ、そこことで少々思うことがありましたので、その件に関して載せてみます。
私自身、たまに小さいお子さんのご相談を受けることがあるのですが、その点で、確かに今の市場の動きと言いますか、今現在の若いお母さん、お父さんの求めるものに関し、日本の療育センター、もしくは、ろう学校、通級指導教室は、少し、停滞気味だなと感じることがあります。
それらに触れつつ、今現在の日本の状況と私がもし、小さいお子さんをもつ親だったらどうするだろうか?ということに関して、考えてみます。
ちなみに療育の関係者や教育関係者の方々へ喧嘩をうる内容ではなく、素直に私自身が感じたことになりますので、軽〜い気持ちでご覧いただけると嬉しいです。
現在の日本の状況と両親の心境
今現在、1〜3歳くらいの小さいお子さんがいる場合、やはり気になるのは、この先、どうするか。という全体的な問題です。
私自身、結論からいうと今はまだいいかもしれませんが「日本が、これからよくなる!」というのは、考えにくいと思っている人間で、聴力にもよるのですが、自分と同じくらいの聴力(私の場合は、中等度難聴くらいです)だったら、可能性を考え、様々な言語に触れさせる。という考えを持っています。
※世界経済のネタ帳より引用
日本は、GDP換算ではありますが、すでに3位で、2位の中国とは、2倍以上の差、かつ、1位のアメリカとは、3倍以上の差があります。
※世界経済のネタ帳より引用
アメリカや
※世界経済のネタ帳より引用
中国はまだまだ成長中ですが、
※世界経済のネタ帳より引用
日本は、もうずっと停滞気味です。この点は、周知の事実ですね。
加えて、これから年配の方々がより増え、老人大国へまっしぐらの道を進んでいます。社会保障費もどんどん増え、本来なら若い方にどんどんお金を使い、人口を増やすなり、働く人口を増やす必要があるのですが、中々そちらの方まで手が回っていません。
そして、働き手を海外から……という動きも一時期ありましたが、受け入れそのものに関して、積極的でもありませんし、何より、それ以上に周りの国が豊かになりつつあることで、外国人労働者から見ると日本に対する魅力が徐々に薄れてきている状態でもあります。
それらの状況を考えると、申し訳ないのですが、この先、日本がよくなるという明確なものが見当たらない状態ですので、どちらに転んでも生き延びられるようにする。というのが、スタンダードになってくるのかなと思うのです。
日本の場合は、日本語でいいですが、それ以外の言語である英語あたりが第二の言語として学んでおいた方がいいのではないか。もしくは、日本以外の選択肢ももたせた方がいいのではないか。というのは、自然と思いつく発想になります。実際に、小さいお子さんに英会話を学ばせているご両親は、多くなっていますよね。
難聴の子に対する教育は
で、それを考えた上で、難聴の子供達の教育現場に一時期いた経験(いたと言っても補聴器屋としてですが)からすると、確かにこのような思想を持った先生には、お会いしたことはなかったな。と感じます。なんと言いますか、これからの教育は、こんなことが求められる、世界の動きがこのように変わってくるのではないか、そこから、必要な教育は、このようになるのではないか……という点です。
もしかしたらすでに周りの保護者の方に言われているのかもしれませんが、なかなかそちらの方にシフトするといいますか、そのような方々に向けた内容にシフト、もしくは、変えていくことが起こっていないなと感じます。
実は、少し前から度々、日本の難聴のお子さんの教育関連の場所に相談しに行った親御さんより
- 日本語一本で行くなら対応する
- 他の言語を入れると成長が悪くなる
という話を聞いておりまして、その点に関して否定的な人が多いんだなと個人的にも感じています。
私も言語に関しては、詳しくなく、エビデンスについても調べかねる状態なので、わからないのですが、ただ、日本の状況がこのようになっているのであれば、ご両親としては、考えざるを得なく、そこを否定しても仕方がないのでは?と思います。
できる、できないの問題はありますから、そこは、仕方がないにしても、それを否定してしまっても何も始まらないと思うんですよね。
自分だったらどうするか
では、私だったら実際、どうするだろう?と考えてみたのですが、日本に住んでいるのであれば、日本語の指導は、療育センター、通級指導教室に任せ、それ以外の英語などは、お子さんが嫌がらない限り、実際の英会話教室にでも学びに行けばいいのかな。と思っています。楽しく学べるのであればベストですよね。
そして、そのままでの学習が難しいのであれば、ロジャー(補聴器に付属できる通信機器で、離れたところからの音声もしっかり聞くことができる代物)もありますし、ちょっとそれらのものを使ってくれませんかね?なんて教室の先生にお願いしてもいいのかなとも思います。なんか色々とやりようはあるように感じます。
日本もようやく小学校から英語を学び始めるようにもなってきましたので、おそらく難聴の学級、聾学校などにも変化が起こるはず……と私は、考えているのですが、実際のところは、どうなんでしょう?ちょっと今のところはわかりません。
ちなみに難聴の学校側で日本語に関して断られたら、もう独学しかないですね。ちょっとリスキーといえばリスキーかもしれません。
まとめ
今の日本の状況を考えると、今後、第二の言語として英語を学ぶ、もしくは、日本以外の選択肢を考えるという思考は、お子さんの選択肢を広める意味でも、重視されてくる考えなのかなと思っています。
教育に関しては、人それぞれの考えがありますので、一概には、いえません。ただ、どの人の想いも根本的な部分は「子供に対して何ができるのか」「子供に何を提供できるのか」という部分だと思うんですよね。
別に難聴の子だからと言ってその子の世界を閉ざされたものにするのではなく、少しでも開けた状態にするというのは、素晴らしい考えだと思っています。そして、その部分は、尊重したいなと思う。
それらのことを考えると、まさに多様化の時代であり、教育そのものも今までのようなどこでやっても同じようなものではなく、多様化が求められてきているようにも感じます。
なかなか公共施設自体で多様化は、厳しい考えではあるかと思いますので、基本の部分は行ってもらい、それ以外は、別のところで学習する。というのも良い考えではないかと個人的には思います。そして、その支援も徐々にできるような道具も出てきました。私だったらそうします。
なお、あくまでもこちらに記載したのは、私が対応した方々から感じたことですので、実際に市場的にどのようになっているのかはわかりません。もしかしたらこのように考えている方は少ないのかもしれませんし、感じている方も少ないのかもしれません。それであったらそれで良いのですが。
ただ、意外に多そうな気配を感じたので、今回は、こちらに関して載せてみました。時代が変われば、もしくは、環境が変われば、それに必要な教育も変わる。というのが私自身が思うことです。
あっ、ちなみに重い難聴の子は、関係ないと思っている方もいるかと思いますが、医療の技術や補聴器、人工内耳の技術が上がれば、自ずと聞こえる子と同じような生活環境になってきます。ですので、上記の問題は、全く関係ない訳ではありません。
そのところも補足しておこうと思います。人工内耳も他の国では、両耳当たり前のところもありますし、性能も徐々に上がってますしね。