【諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない】諦める事は、決してネガティブではない
私自身、月4〜6冊ぐらい読んでいるのですが、その中でも、良かった本に関して、今回から、紹介していこうと思います。
今回紹介するのは、諦める力~勝てないのは努力が足りないからじゃない 著者は、陸上のオリンピック選手だった為末大さんです。
この本のメインテーマは、「諦めるとは、明らかにする事」そして、明らかにして、自分は何がしたいのか。自分の目的に沿って、物事をしていく事の大切さを教えてくれる本です。
実際には、陸上のオリンピック選手だった為末さんから見た、オリンピックで銅メダルを取るまでに考えた事やスポーツ選手の裏側、そういったところに関して、書かれている本です。
しかし、この部分は、ものすごく大事な部分で、プロスポーツ選手になれる人など、ほんの一握りです。
という事は、そのためにどんな事をしてきたのか。言い換えれば「どのようにしたら勝てるのか。あるいは、他の人より先に行けるのか」という思考を学べる。という事です。
個人的には、この考え方が非常に面白く、ぜひ、諦めることにマイナスイメージやネガティブなイメージを持つ方、そして、今、頑張っているけれども、なかなか報われず、苦しく感じている人。そのような方に読んで欲しい本となります。
そのような状況だった場合、どのように考えたら良いか。その考え方がわかるでしょう。
個人的には、考えていることがだいぶ似ているので、今回は、こちらに関して、紹介していきたいと思います。
諦めるとは、明らかにすること
はじめに。というところで出てくるのは、この「諦めるとは、明らかにする事」という文です。
諦める。という言葉を聞いた時、どんな印象を持つでしょうか。良い印象でしょうか。それとも、悪い印象でしょうか。
おそらく日本人だったら、あまり良い印象は浮かばないと思います。その点に関して、一番初めにこんな文が出てきます。
「諦める」という言葉について、皆さんはどのような印象を持っているだろうか。
「スポーツ選手になるのを諦めた」
「一流大学に行くのを諦めた」
「夢を諦めた」
いずれも後ろ向きでネガティブなイメージである。
辞書を引くと、「諦める」とは「見込みがない、仕方がないと思って断念する」という意味だと書いてある。しかし、「諦める」には別の意味があることを、あるお寺の住職との対談で知った。
「諦める」という言葉の語源は「明らめる」だという。
仏教では、真理や道理を明らかにしてよく見極めるという意味で使われ、むしろポジティブなイメージを持つ言葉だというのだ。
そこで、漢和辞書で「諦」の字を調べてみると、「思い切る」「断念する」という言葉より先に「あきらかにする」「つまびらかにする」という意味が記されていた。
それがいつからネガティブな解釈に変化したのか、僕にはわからない。しかし「諦める」という言葉には、決して後ろ向きな意味しかない訳ではないことは知っておいていいと思う。
諦める力 著者:為末大
この文だけでも、知っていただければこの本の内容は、ほぼOKです。諦める。という言葉の語源は、何と明らめる。からきているようです。
物事を明らかにする事は、とても大事ですよね。どんな人間も全てのことができる訳ではありません。神様ではないので得意なこともあれば、苦手な事もあります。
そういったことを明らかにすること。それが大事だった訳です。いつしかそれが、諦める。と言う言葉に変化してきてしまったのは、残念な事ですが、物事を明らかにして、どういった事なら、うまくいくのか、どういった事だとうまくいかないのか。それを明らかにするのは、とても大事な事です。
それこそ、アスリートとなるとそれは、ものすごく大事な事だったでしょう。
アスリートの世界、スポーツ選手の世界は、それこそ、選ばれしものだけが選ばれる世界。エリート中のエリートしか入れない世界です。
そんな世界でやっていくのでしたら、ほぼ確実に自分が苦手なスポーツを選ぶのではなく、得意なスポーツを選ぶはずです。
さらに言うと、競技の中には、いくつか種目があります。柔道だと、体重ごとに階級が分かれていたり、陸上だとどのぐらいの距離を走るのか。も種目が分かれています。
どれが自分にあっていて、自分の力を一番発揮できるのか。言い方を変えれば、自分が一番強い所はどこで、どこにその全力をぶつけられると良いのか。これを考えることは、練習をこなす事より、大事です。
いくら練習しても、自分が苦手な種目だったり、そこそこできていても、それが得意な人が練習を重ねられたら、なかなか勝つことはできません。
スポーツの世界は、勝ち負けもすぐについてしまいますし、勝ち続けなければならない。というとても過酷な世界です。敗者はただ去る事しかできません。
その世界で、どのように考えてきたのか。言い方を変えると「どうやって自分が勝てる環境を見つけてきたのか」という視点は、とても参考になります。
為末さんの場合は?
参考までに為末さんの場合は、400mに高校3年生の時に絞ることにして、その後、陸上オリンピックで銅メダルを獲得しています。
私は陸上の世界をよく知らないのですが、陸上には、100m、200m、400mといくつか種目があり、その中でも圧倒的に人気なのが、100mの種目だそう。
この100mの競技人口が圧倒的に多く、多くのアスリートが100mに参入して、特別に才能があるアスリートのみが生き残るのが、この世界。この点は、この100mに特別な才能を持つ人が集まりやすく、これ以外の種目には、そういった人は、集まりにくい。という風に考えられるかもしれません。
為末さんの場合は、100m、200m、400mとエントリーしていたようですが、身体的に100mには、向いていない事を痛感し、400mに絞ることになったようです。
まさにこれこそが、本書の「諦める力」ですね。明らめる。と言うことをして、自分は何が向いていて、逆に向いていないのか。そこを明らかにして、自分ができることに集中する。とても素晴らしいことです。
もちろん、当時の決断は、とても苦しいものだったと思います。花型は誰しもが憧れることで、そこを目指している人も多いでしょう。
しかし、人が多く集まる場所は、それだけ才能やとんでもない才覚の持ち主もきやすいので、自分が合っているか、合っていないかはともかく、とても競争が激しい世界です。
そういったところは諦め、いえ、避けて、自分の力が発揮できるところに集中する。この決断は、当時、とても苦しかったと記載されており、強い葛藤や「逃げた」とも感じたようです。
だいたいこういった決断は、当時はとても苦しいものですが、のちに「あれは人生最高の決断だった」となる事が多いです。
為末さんものちに「400mハードルに移ってよかった」という結論にたどり着いています。
諦めていい事と諦めない方がよい事
ここで難しいのは、諦めて良い事と諦めない方がよい事ですよね。
どんな事だったら、諦めて良いのか、逆に諦めずにやった方が良い事というのは、どんな時なのか。
その点に関しては、「手段を諦めることと目的を諦めることの違い」という章に出てくるのですが、目的をちゃんと見失わないようにするのが大事。という事です。
目的は別に諦めなくてもよく、その目的を達成する手段なら、いくらでも変えても大丈夫。という事ですね。
たまに目的と手段がごっちゃになっているケースがありますが、その場合は、一度、落ち着いて、自分は、どういったことをしたいのか、どんな目的を持っているのか。を考え、うまくいかない手段があれば、その手段は変えてしまう。そのようにして、目標を目指せば良い。ということです。
時には、その目的そのものを変える、あるいは、見直す必要があるケースはありますが、その場合は、その場合で見直しを行い、また1から、そのための手段を考えていく。そのようにして、目的を常に見失わないようにしていく事が大事。という事ですね。
手段は、コロコロ変えてよく、自分の目的はなんなのか。ここを明らかにする事が大事。ということをこの本で再び、認識する事ができました。
難聴の方にどう役立つ?
この本は、正直、難聴の人であれば、一度は、読んでおいた方が良い本だな。と感じました。
というのも難聴の場合、どうしても聞こえにくい事で職場や職場環境によって、だいぶ働きにくくなるからです。
そんな時にこそ、この「諦めるとは、明らめる事」「自分の状態を明らかにして、できることに集中していく。という考え方は、非常に大事です。
身体的制限やなんらかの制限を抱えてしまっている人ほど、重要。という事ですね。もちろん、どんな人間も得意な事があれば、苦手な事がありますので、難聴の人に限ったお話ではありません。
この本を改めて読んだ際に感じたのは、やはり「明らかにする事」これが非常に大事だな。という事でした。
まとめ
今回は、諦める力。という内容を記載してみました。個人的にも非常にオススメの一冊です。興味が出た方は、ぜひ読んでみることをお勧めします。
諦める。と聞くとネガティブなイメージがあるかもしれませんが、大事なのは、まさに自分の状態を明らめることです。
自分はどんなところだったら力を発揮でき、どんなところだったら力が発揮できないのか。力が発揮しづらいところをあえて選ぶ必要はありませんので、せっかくなら、力を発揮できるところを選びたいものです。
これらは実際に自分の体で試してみて「ここは割としやすいな」と感じるのか逆に「こんなところでは働くものではないな……」と感じるかは、やってみないとわからないことですが、一つ一つ明らめる事は、とても大事です。
私も実は、これをやってきました。高校生の時にアルバイト先を何も考えずに決めて大敗したので、「自分の力が死ぬところは避けよう」と考え、今まで、そういった場所は避けるようにしてきました。
高校生の時は、だいぶ精神的にきつかったのですが、今では感謝しています。その経験があったからこそ、そういったところを避け、今まで、そこまで致命傷にならなかったからです。
その時の経験は、とてつもなく苦痛でしたが、そこから学び、より良くしていければ個人的には、なんでも良いように感じます。そのことを教えてくれる本でもありますね。
ということで、最後までご覧いただきまして、ありがとうございました。