補聴器を開発した人や進化させる人に感謝している理由
正月に時間があったため、改めて補聴器について色々と考えていたのですが、今更ながら補聴器を開発した人は、すごいな。と、個人的には、思っています。
このようなことを記載すると、もしかしたら「えっ?なんで?」と思う人もいるかと思うのですが、仮にそのように感じるのであれば、「じゃあ、自分なら感音性難聴をどう改善させる?」と問いかけたいです。おそらく、知識がある人ほど「補聴器で改善させる」とは、ならないはずです。
自分自身が感じた点について載せていきます。
自分だったらどう感音性難聴を改善させる?
どのような物事も改善させる場合は、その対象となるものを知る必要があります。感音性難聴に関して簡単に記載すると
耳の中にある内耳と呼ばれる部分がなんらかの障害により、正常に機能しなくなったものを感音性難聴とよんでいます。症状としては、音が聞こえにくくなる(聴力の低下)他、音の判別、音声の判別がしにくくなり、音声が聞こえても、音声と認識できず、理解ができなくなるという症状も出てきます。
重要なのは、音を理解する部分が低下することにあり、この部分は、音を増幅する、しないの問題ではなく、音をどう脳が理解するのか、処理するのかの問題となり、増幅どうこうの問題ではありません。それらのことから、神経系の病気、病状とされています。
で、初めの問いかけに戻るのですが、これらのことを理解した上で、果たしてどれほどの人が「よし!音を大きく聞こえるようにして、改善させよう!」と思うのか。私がすごいなと思ったのは、この点です。
おそらくほとんどの人は「音だけが聞きにくくなるのであればともかく、神経系の病状では、音を大きく聞こえるようにして改善させる、という手法は、通用しないのでは?」となるのではないでしょうか。
感音性難聴は理屈で考えると、そもそも改善ができないものになります。
それなのに補聴器を作っちゃった人達
補聴器を初めに作った人たちは、私、残念ながら存じ上げないのですが、おそらく昔ながらにある音を大きくできるもの、蓄音機を耳元で聞くと、よく聞こえることから、補聴器を作ったのだと思いますが、その行動力には、驚きで、感謝せざるを得ません。なぜなら、そのおかげで、今の私があると言っても過言ではないからです。
私のことを少し紹介させていただくとすると、生まれつき難聴の人間で、補聴器を使いながら日々生活をしています。補聴器で、なんでも聞こえるようになっているわけではないのですが、補聴器なしとありでは、かなり聞こえの差がありますので、聞きにくさを感じる部分がありつつも補聴器には、かなりお世話になっている人間です。
私の場合は、特に生まれつき耳が聞こえにくい人間なので、まぁあまり良い表現ではないのですが、補聴器が仮にない世界だったら、おそらくほぼ詰みの人生を歩んでいた可能性があります。
そのようなことを考えると、感謝しかありませんね。値段はするのですが、それで、できることが増えるというのは、私にとって、非常に価値があることだからです。
耳が治せる世界だったら、補聴器は、あまり価値がないかもしれませんが、直せない世界では、それなりに価値があるものと個人的には、思います。
補聴器で改善できることを底上げする
とはいえ、補聴器は、完全ではないため、まだまだこの状態のまま、満足することは、してはならないことですし、聞きにくい人たちの生活をより支援できるようにしていく必要があるのも事実です。
それは、補聴器の延長線上に解決策があるのか、それとも耳そのものを改善させることの延長線上に解決策があるのかは、今後の医療の発達や機器の発達によってわかってくることだとは、思います。
今現在、様々な国や研究機関、医療機関が、それぞれの思う改善方法に関して研究している最中で、どんどんより良くしていくための取り組みをしています。このような取り組みをしてくださっている所には、感謝しかありません。特に私は、0から1を生み出す力はない人間ですので、余計にそう感じます。(他力本願w)
元々は、もしかしたら見切り発車だったのかもしれませんが、何がともあれ、補聴器を開発しちゃった人たちには、感謝ですね。そのおかげで、今があり、少なからず、救われている人がいるのは、事実ですから。
なお、最後に補足をしておきますが、実際のところ感音性難聴は、補聴器である程度、改善できます。実際には、改善できる部分と改善できない部分が混合しており、その改善できる部分のみ改善させることが可能です。そのため、現状は、耳によって異なりますが、補聴器でそれなりに効果を得られる方からそうでない方もいます。