聴覚障害者が健聴の人を超える時代は来るのか
2016年、リオパラリンピックで走り幅跳びの選手、マルクス・レーム選手が8m21cmと驚異的な記録をだし、金メダルを獲得しました。去年の記録では、この記録よりも上の、8m40cmの記録をだし、ロンドン五輪の走り幅跳びの金メダル記録を9cm上回りました。このことにより、障害そのものに関する議論は、もちろん、他の業界でも「うちらの業界でも健常者により近く、または、超えられる日が来るのでは?」と期待している業界もあるかと思います。
ということで私が関連する聴覚の世界はどうなのか。個人的に考えてみました。結論から言いますと、努力次第で可能。という結論に至りました。物事の整理をしていく意味で、私自身が考えたことを載せていきます。
なお、聴力が良くなる技術はさておき、良くなる技術があることを前提で考えてみました。
結論から
え〜結論から言いますと、夢のないお話で誠に申し訳ないのですが、技術が発達することにより、様々なことはできるようになるかと思いますが、健聴の方を超えたり、難聴の人しかできないこと、新しい職種が生まれるなどは、考えにくい。という結論に至りました。
そして、それらの技術を活用することにより、一般の方より、様々なことができる。もしくは、より生産性の高い仕事や物事に取り組める。そのようなことは、努力次第。という結論になりました。
どのようにして、そのようになったのか。
- 聴覚が良くなることによるメリットは
- 今の技術からみる良くさせられる部分
- 難聴者に優位性は、あるのか
の3つに分けて載せていきます。
聴覚が良くなることによるメリットは
まず、初めにつまづいたのが、こちら。聴覚が良くなることにより、良くなる部分、もしくは、得られることは何か。になります。
難聴の人であれば、良くなることにより、不自由が軽減された世界になるのですが、健聴の人が、今以上により良くなることで得られることは何か。私は、さっぱり思いつきませんでした。
音は、きこえすぎると却って負担になりますし、コウモリのように超音波まで聞こえるようになると、かえって鬱陶しいのでは?と思います。そして、超音波が聞こえるようになることのメリットも思い浮かびません。正直、どうなんでしょうね。
足で考えてみますと、多くのメリットがあります。早く走れるようになったり、今までより負担なく走れるようになれば、目的地まで早くつくことになりますし(時間短縮)、人の足ではなく、機械や義足の方が疲れないのであれば、それは、メリットになります。
いくら機械や車や飛行機などのものが進化しても、人が歩く部分はありますので、それらの部分では、技術が向上することにより、得られるものはあります。この点は、移動手段も常にあるとは、限らない点も考慮しています。
足の場合は、これらの優位性が考えられるのですが、耳の場合は、今現在の状況よりも良くなることによる優位性は、見出せませんでした。(少なくとも私は)
もっとも足の場合、昔から人は、足を進化させてきました。馬も自転車も車も飛行機も船も全部、移動するという部分で考えれば、足です。しかし、耳の場合は、ちょっと思いつきません。会話や伝えるという観点で見ると電話やメールといった技術になりますが、おとそのものに関しては、思いつかないのが現状です。
今までの進化、技術の向上の歴史にも耳はないし、健聴の人の聴力を超えることによる優位性は、良くわかりません。
今の技術からみる良くさせられる部分
今現在の技術からみて、良くさせられるな。と感じる部分は、あります。例えば補聴器とメガネ型のウェアラブル機器を連携させることで、人工知能AIと会話しながら、様々なことをこなす。ということは、将来的に可能になるのではないか。と思います。
例を挙げますと補聴器とメガネ型のウェアラブルを連携させ、人工知能に指示できるようにします。補聴器のマイクで、自分の声で指示できるようになると、アイアンマンのジャービスのようなことが可能になるのでは?と思います。
補聴器からは、人工知能の音声が聞こえ、補聴器のマイクを通じて指示する。そして、メガネ型のウェアラブル機器に情報を写す。という仕組みです。
AIに関しては、今現在、研究も進んでおり、FacebookのCEO、マーク・ザッカーバーグ氏は、まさにジャービスのようなAIを作っています。
リンク:ザッカーバーグが描く家庭用AI「Jarvis」が完成──声はモーガン・フリーマン
これらのことができるようになれば、今までスマホで調べていたものが声で「○○ってどんな意味?」「××までの道案内をお願い」「△△に電話して」と出来る様になります。簡単に言えば、スマホで操作していたものが全部、声で操作するような感じになります。もしくは、上記の内容の通り、全てのことが声、または、文字認識(カメラで認識)し、できるようになるかもしれません。
ちなみに一部の人たちは「いちいち声に出すのも面倒だよね。念じれる(思う)だけで作れるのでは?」ということで、それに関する研究も進めています。技術としては、手足が動かせない人に対して、念じれるだけでものを動かす技術との応用です。
補聴器は、数少ない成功しているウェアラブル機器の一つです。時計型のウェアラブル機器は、当初、大きな期待がされましたが、今は、結構、下火になってきました。メガネ型のウェアラブル機器もプライバシーの面で下火になってしまいました。
しかし、組み合わせ次第で多くのことができるのではないか。そんな風に私は、思っています。
今現在の技術の延長線上を見るとこのように感じますね。
難聴者に優位性は、あるのか
では、仮にそのような世界が来たとして、補聴器を装用している難聴者に優位性はあるのか。この点に関しては、はっきり言えますが、「ない」となります。それは、つけることによるハードルの高さが要因です。
これは、足で考えていただくと非常にわかりやすいのですが、仮に義足にすることにより、今まで以上に快適に走れる、移動できる、ということであった場合、自分の足を切り落としてまで、つけたいか、つけたくないか。という問題です。
おそらくこちらに関しては、かなり意見が分かれるかと思います。それをしてまでやりたい人は、義足にしますし、「いやいやそこまではしたくない」という人もいるでしょう。
つまり、義足の場合、足を切り落とすというハードルの高さゆえに優位性を保っていられる。ということになります。(個人的には、足がある人は、パワードスーツでいいと思いますけどね)
では、補聴器はどうか。と言いますと誰でもつけられる機器ですので、難聴者だけに優位性があるわけではありません。もちろん、補聴器をつけていることにより、上記のようなことができるような世界になったら、おまけでできるようになるわけですが、つけることのハードルは、低い状態です。
つまり難聴者以外にも恩恵を受けられる状態になります。特別、難聴者だけが得られるものではなく、誰でも受けられるもの。ということになり、難聴者のみに優位性が出てくる。というのは、ないと私は考えます。
技術が発達した世界
今後、ますます技術に関しては発達してくるかとは、思います。それにより、障害というものの定義は、変わるかもしれません。聴覚の世界も技術の進歩により、聞こえにくさにより、悩んでいる人が、少なくなるのであれば、それは、非常に良いことです。
ただ、個人的に感じるのは、今現在では、難聴者に優位性が得られるものではなく、難聴者じゃなくても恩恵を受けられる技術だな。と思います。ですので、これらの機器を活用できる人はより良くなり、残念ながら難しい人は、そこまで恩恵を得ることはできないのでは?と思います。そこで冒頭の努力次第。となります。
これが自分なりに考えてみたことです。あなたは、どう考えましたか?意見を聞いてみたいものですね。