耳・補聴器のこと

聴覚障害は、結局コミュニケーション障害に行きつく

深井 順一|パートナーズ補聴器

補聴器による聞こえの改善は、聞こえの改善と補聴器のFAQ、にまとめています。また、個々の症状(症例)ごとの改善は、お客様の聞こえの改善事例にまとめています。

サイレントボイスさんのところに、良い記事がありましたので、ご紹介したいと思います。働きながら子育てをしてらっしゃる方の聴覚障害の価値観に関するものです。個人的には、難聴に関する事について、改めて考えさせられました。一度、ご覧になってみてはいかがでしょうか。

リンク:こどもに伝えたいこと:優木美紗子さん

細かい内容としては、子育てを通じて理解する事や聴覚障害の事、自身の経験の事など、様々なものがあります。私の場合、身近に聴覚障害の方がほとんどいない世界で生きてきましたので、このようなお話しは、参考になります。人の生き方は、実に様々なものがある事を教えてくれます。

気になった事

個人的に気になった事は、この部分になります。以下引用します。

私の聞こえは軽・中等度難聴です。手話は大学生になって、偶然覚えました。「手話があるのとないのでは全然違う!」って驚きと感動、そして混乱がありました。自分の身体の中で、耳が一番弱い部分であるとわかっていました。でも周りからは「ある程度は聞こえる」ことに注目されて、聞こえる人に近づくことができるように、「がんばれがんばれ」と言われてきたんです。そんな人とのコミュニケーションは、子どもだった私にとっては酷でした。手話で話せるようになって初めて、人と話すことが「心から楽しい」と感じられました。本当に人のことが「好き」とか「大事」と思えたのも、聞こえる人とも聞こえない人とも手話で対等な立場で話し合えるようになってからですね。

Silent Voice こどもに伝えたい事より引用

ここの部分は、真の意味で聴覚障害とは、何かを表しているように感じました。そう音が聞こえにくいというのは、コミュニケーション障害であるという事なんですよね。この方の聴力だけを見てしまうと、そこまで重くないのは確かなのですが、だからといって、障害レベルが軽いとは、限らないわけです。以前「聴力図(オージオグラム)では、障害レベルは測れない」にも、同様の事を記載しましたが、聴力よりも、どのくらい意思疎通がしにくい状況なのか、しやすい状況なのかで、その方が受ける精神的苦痛は、変わります。

現に、この方の場合、耳ではなく、目でコミュニケーションする手話に会い、理解できる事、伝える事、コミュニケーションできる事に喜びを感じた事がわかります。しかもそれは、補聴器を装用しているだけでは得られなかった感情を得られたという事でもあります。だからこそ、手話の素晴らしさを感じられたのでしょうし、心から楽しいと感じたのでしょう。もし、補聴器で不自由なく暮らしていたら、手話の必要性を感じなかったはずです。

この部分を見るといかに難聴、聴覚障害とは、コミュニケーション障害である事がわかります。

補聴器はコミュニケーションを支援する道具の一つ

私自身が思うのは、補聴器は、あくまでもコミュニケーションを支援する道具の一つであると言う事です。正直、他の方が良いのなら、最悪補聴器は使用しなくても良いのではないかと思う事もあります。特にお客さんが望んでいるものが全く手に入らない、絶望的であれば、なおさらです。

耳が聞こえにくくなった事により、コミュニケーションがしにくくなったのは確かですが、補聴器を装用しても、残念ながら限界はありますし、中には、ほとんど効果がない方もいらっしゃいます。そのような方には、別の方法でコミュニケーションする方が良いと私は考えています。

今まで私がしてきた仕事は、コミュニケーションを良くする方法の一つとしてある補聴器を提供する事でした。それは、今も変わらず、このようにブログを書く事で続けています。補聴器の事を書いている人がほとんどいない事もあり、このような情報そのものに価値があると個人的には思っています。

補聴器を販売していた人間からすると特殊な視点であるかもしれませんが、私は、このように考えています。

コミュニケーションが良くなるなら何でも良い

私自身の思考としては、コミュニケーションが良くなるなら、基本、何でも良いと思っています。補聴器を装用しようが、手話をしようが、本人の自由であると思っています。紹介した記事の中の人は、軽・中等度難聴のようですが、手話を使って会話されています。これは、ろう学校や一般の聴覚の業界では、考えられない選択かもしれません。このくらいの聞こえですと一般的には、音を聞き取り、声でコミュニケーションする方法をとるケースが圧倒的に多くなります。しかし、私は、別に手話を選択したとしても良いと考えています。

その理由は単純で、コミュニケーション障害は、環境による外部要素が強く影響するからです。理解されにくいところで、いくら頑張ったとしても聴覚が低下しているというハンデがある以上、状況によっては、解決するのに無理があるものもあります。これは、不登校やいじめの問題と似ており、世の中には、いくら本人が努力したとしても解決できない問題がある事を私自身は、理解しているつもりです。

これらの問題点は、狭い世界の中に閉じ込めてしまう事にあると私は考えています。今いる世界が合う世界であれば良いのですが、合わない世界なら、無理して合わせる必要はないと思っています。世界は、広く様々な人がいるのですから、学校、地域、クラブ活動、それらの何か一つでも、自分自身の居場所が作られるのであれば、コミュニケーション障害は、徐々に薄まっていきます。そして、心も楽になると考えています。

自分が受け入れられやすいところ、自分自身が気軽に生活できるところ、自分が楽なところ、そのようなコミュニティ、サークル、グループに属する事が、コミュニケーション障害を薄くするカギになるのではないかと、私は考えています。合わない人は、いくら頑張っても合いません。それは、難聴だから、聴覚障害だからという問題ではありません。一般の人でも、そのようなケースは、そこらじゅうにありますので、100人、200人合わない人がいたとしても、ほんの少数でも合う人がいれば、生活は楽になります。

コミュニケーション方法を選択するという事は、同時にコミュニティもある程度選択するという意味を持ちます。手話、補聴器(音によるコミュニケーション)どちらに関しても利点、欠点はあります。しかし、フォーカスすべきは、人であり、コミュニケーションする手段ではありません。人のために、様々なコミュニケーション方法があります。

どちらにしても、本人が良いと思うコミュニケーション、あるいは心理的負担が楽になれば、良い方法であると私は思います。そのため、私は、補聴器でも手話でも良いと考えています。

あとがき

良い記事がありましたので、取り上げてみました。このような記事は、勉強になりますね。個人的には、どのような物事も学べない事はないと思っています。一見、普通の内容かもしれないものでも、そこに価値を見出せるか、そうでないかは、人次第です。視点を変えてみると、上記の記事は、様々な事に気が付くと思います。

なお、私は、手話を擁護しているわけではありません。あくまでも人が中心であり、その人に合うコミュニケーション方法を使用する事が重要だと考えているだけになります。

補聴器を装用する方が良い方もいれば、手話を使用した方が良い方もいます。どちらが良いというのは、一概に言えませんが、自分にとってどちらが良いかを決める事、どちらが良いかを考える事が重要だと私は思っています。私自身は、様々な考え方があって良い、色々な生き方があって良いと思う人間です。

ABOUT ME
深井 順一|パートナーズ補聴器
深井 順一|パートナーズ補聴器
補聴器を使っている人が対応している補聴器専門店・代表
生まれつきの感音性難聴で小学2年生の頃から補聴器を使用。補聴器の仕事は、2006年からで、2024年現在、18年です。自分自身でも補聴器を使っていることを活かして、お客様に貢献できるお店を目指しています。お客様からは、補聴器を使っている当事者なので、状況や気持ちをわかってもらいやすい、と評価いただくことが多いです。
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