障害を払拭させる補聴器のヒント
かれこれ3ヶ月ほど前に読んだ下記のエントリーで、とても重要な事を学びました。
リンク:右手のない3歳の少年がアイアンマンの義手をプレゼントされる
こちらの内容は、生まれつき右手のない男の子に、義手がプレゼントされたというものです。ある種の感動の物語……ではなく、別のところに私は、注目しました。
さて年端も行かぬ小さな子どもに、アイアンマンの義手を提供されたらどのように感じるでしょうか。ここに、障害そのもののイメージを払拭させるヒントがあるように思います。
今回は、こちらに関して、思ったことを記載していきます。
アイアンマンの義手と男の子
これを見て一番に感じた事は、この男の子にとって、この義手は、自分の手が得られただけでなく、周囲から羨ましがられる存在になったという事です。
障害となると、どうしても暗いイメージになりがちですが、アイアンマンの義手は、この子にとってどう映るのでしょうか。また、男の子と同じ世代の子から見て、この義手はどのように映るのでしょうか。恐らく、羨望のまなざしを送る事になるでしょう。そして、「あれ買って」や「あれが欲しい」という声を出すようになります。
一般のいかにもな義手であれば、「ああ……生まれつき手がないのか……」と思ったり、「あの子は、生まれつき手がないから、手の事を言っちゃだめよ」と、ご両親がご自身のお子さんにお話する事があるかもしれません。しかし、アイアンマンの義手を見た後、果たしてこのようなマイナスイメージを持つのでしょうか。少なくとも男の子の周りにいる子は、そのような事は思わないでしょう。ちなみに私がもし同年代の子どもだったら、間違いなく目をキラキラさせて「スッゲー!!」や「欲し〜!」と言っています。
アイアンマンの義手で最も凄い事は、障害を障害だと感じさせなくする事です。いくら障害を感じさせるものでもやり方次第では、そんな風に見えなくなる、または、見えなくする事ができることを学んだ瞬間でもありました。
アイアンマンの義手は、この子の手を与えただけでなく、障害であるというイメージも払拭させています。これは、とてつもなく凄い事ではないかと私は、思いました。
人と人が対等に
このような事が、起これば、変に障害がある方に気を使ったり、気を使わないことで、いちいち何かを気にする事が少なくなってくるのではないかとも思っています。障害があるからといって変に気を使われる事を嫌がる方もいるのもの事実です。
これから様々なテクノロジーが発達、進化してくるにつれ、色々な障害も、今より障害レベルが、軽減していきます。そんなとき、最も重要になるのは、障害というイメージの払拭です。
変に気を使われることがなくなれば、まさに人と人とが対等になります。アイアンマンの義手を付けた子も障害者としてみられなくなれば、気軽にその義手についても聞かれるかもしれません。少なくとも男の子の周りの子は、確実に聞くでしょう。「それ何?」や「カッコいいね。どこで買ったの?」などの会話がされるのが目に浮かびます。個人的には、ここが最も重要になると思っています。
障害となるとどうしてもその事について聞いてはいけないようなイメージがあります。しかし、むしろ逆で、聞いて欲しい人の方が多いのです。障害だからこそ、その人ができないことがあり、どうしても協力をもらわなければならないところもあります。腫れ物にさわるような扱いでその方が理解されないのではなく、むしろその方を正しく理解するような形で進むのが最も大切なことだと思っています。
これから考える補聴器
上記のことを踏まえて考えてみると、補聴器を装用するのが羨ましがられるようなもの、または、装用していても恥ずかしくないものが主流になってくれば、装用者の心理的負担も減ってくることになり、難聴について話す機会も増えます。また、「あれが補聴器?今時の補聴器はすごいな……」みたいな反応が多くなってくれば、補聴器装用者も気にしなくなるでしょう。
今、各補聴器メーカー社がカラフルな補聴器を開発しているのは、そのような理由もあります。補聴器に見えないものを開発し、製品化すれば、装用者の心理的負担も減ることになります。
心理的負担が減れば、人と接する機会も増えるかもしれません。その時に、自身の耳のことをお話できるようになると、より難聴者の環境が良くなってくるでしょう。
そのカギは、補聴器を装用するのが羨ましがられるようなものを作ることではないかと、このエントリーを見て思いました。
あとがき
とあるエントリーから思ったことについて記載してみました。
アイアンマンの義手は、私にとってすごい衝撃でした。これを見た周囲の子は、何て思うのだろう。この子は、どんな気持ちなのだろう……それを考えてみるとここに障害を払拭する全てのヒントが入っているように感じました。
補聴器も装用するのが羨ましがられるようなものなら、装用するのを気にする方はいなくなります。このようになれば、もっと気軽に難聴について話せることになります。
また、難聴は、補聴器を装用したとしても聞きにくいところがありますので、人に伝える必要も出てきます。気軽に伝えられるような、あるいは、装用しても装用者は気にせず、その他の方は、装用していることに気付く補聴器であれば、わざわざそのような事を言う必要もなくなるのかもしれません。そのようになれば、また一歩難聴の方の生活を楽にできるようになります。
補聴器は、上限まで進化した感がありましたが、まだまだ先があるということですね。このエントリーで、これらの事を学ばさせてもらいました。
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リンク:補聴器の耐久年数は5年、にまつわる謎と新たな判断基準